20
いつもいつも、下町の入り組んだ路地裏から見上げる空は狭小にして重苦しい灰色で。この大陸では人として認められぬ異民族、隠れ住む身には贅沢は言えない。陽光が射さない環境も、自分にはむしろ願ったり叶ったりだったけれど。望んでのものではなく強いられての境遇だということが、時に思考の安息を無為に掻き回しもしたものだったが。精気満ちたる陽界を、早馬のように駆けて駆けて。便利になるほどやたらと速度を増す世界を、果たして…追っているやら追われているやら。どれが誰という違いもないまま、似たような生涯をあっと言う間に老いては去ってゆく俗物どもには、さして関心も向かないままに歳月は流れゆき。
――― それでは自分は何を待っていたのだろうか。
発端は、新たな“光の公主”の生まれ出る気配。光と闇のバランスが崩れる予兆にくすぐられ、闇にばかり均衡が傾かぬようにと現れ出づる“陽の公主”の気配を察し、世界が気味の悪い祝福に輝き、風が歓喜の唄を乗せて吹き来るのへ、陰の者らは悍おぞけたり震えたりしたものだった。それと同時に、彼かの者を滅ぼすがため、負界からの使者、虚無様からの命を受けたる“闇の眷属”が降臨する気配もまた嗅ぎ取れて。これまでは…穢れを厭うところへと付け込んでの相殺という形ながら、力が発動する前の“月の子供”の段階で葬り去って済んでいたその対象。だが、今回の存在はこれまでになく手ごわそうな力を秘めていることが、こんなにも遠い地からでも察せられた。幾世代もに渡りし“月の子供”の転生封滅…つまりは相討ちを、指を咥えて延々と見送りし身なればこそ出来た比較なのが、何も出来なかった身だということがやたらに苦くて。
『ええい、口惜しやっ。』
元は自分も、闇の眷属に名を連ねる寸前までの功績を認められていた存在だった。陽白の一族らが頼みにしていた聖戦士らの一族を、妖魔との接触という負の呪いにてじわじわと、侵食していたその仕儀が、秘やかに進んでもう少しで成就するかというところであったのに。聖による殲滅から逃れんと、人の中へと紛れ、しかもそれが通せるようにと力を分散させた身。陽からの探査から逃れることこそ可能だったが、その代わり。力は削られ、一足飛びに“始まりの大地”まで戻ることもまた不可能となって幾星層。今度こそは“光の公主”が立ってしまうやも知れぬと、大いに危惧した儂は、だが、
『…いや、待てよ。』
それほどまでに大いなる力を持つ御子が降臨するというのなら、そして此度こそ“光の公主”としての覚醒を果たすということは。負界からの刺客である使者は敗北を帰し、滅ぼされてしまうということではなかろうか? となると。その後釜に座れるだけの働きを示せば、そんな自分こそが…負界の覇王“虚無”様からの覚えもめでたく得られ、今度こそ闇の眷属の一員としての、破格の地位を授けられる運びとなるやも知れぬ。
――― ならば。今こそ“約束の時間”を迎えさせようではないか。
裁きの雷霆という絶大なる威力を帯びし陽咒から、逃げ延びる方策として連れ出した、この一派の者共に分散させし“闇の咒力”を、再び我が身へ取り戻さねばならないが、聖なる作用の欠片(かけら)もない当地では不可能なこと。そこで、まずは聖なる大陸へ戻る算段を固めた。何の、その気になれば容易いこと。人は人の作りし工夫や仕組みを、その根底から、完膚無きまで崩壊させる研究にも精を出す、どこか変わった生き物で。たかが小細工の積み木に過ぎない“システム”とやら、何とかそれだけは我が身へ残した“傀儡くぐつ”の暗示術を駆使し、操作する者らをちょいと狂わせたなら、何ともあっけなく暴走を始めてくれて。
――― それと同時、結束を束ね直すための方策も練った。
我が力を預けた者らはどうあっても連れ出さねばならぬ。混乱に撒かれて散り散りになっては意味がない。この世代をこそこの手で牛耳るためには、負力の取りこぼしは許されない。そんな中に構えたものが、過去からの約束を果たした時に降臨なされし存在、我らを罪から解き放つという“闇の太守”と、その寄り代となる殻器の準備。かつての昔、将来その罪を清算したときに現れる兆しとして触れ回り、なればこそ闇の咒を駆使することを恐れるなと鼓舞したのと同じ罠。卑屈に俯き、力なき身を寄せ合うしかなかった彼らへと、いよいよの時が来たのだと繰り返し繰り返し刷り込んでおき、現実に起きた悪夢のような地獄絵の中、一条の光を示してやれば。それがどんな光かも確かめぬまま、皆して造作なく縋って来おった。
……… くくくくく。
懐かしい大地。初まりを知る儂にしてみれば、随分と荒廃し、陰の力は文字通りの日陰へと追いやられつつあったけれど。何の、だからこその復興ではないか。この土地の人間たちもまた、かつての能力を廃らせつつある。同胞に等しき炎獄の民へ、涙を呑んでの制裁を加えし陽白の一族が、そうまでして護りし存在が今や。大地の荒廃を看過し、精霊たちの声を聞く術を蔑ろにし始めている。この機を逃してなるものか。無事に持ち帰りし負力を用い、闇の公守様をお招きしようぞ。陽界を混乱させる旗標はたじるしとなっていただけば、そのまま虚無様を満たして差し上げることも出来るし、我らが大望、混沌への回帰への尽力にもなろう。
――― さあ、時は満ちたり。
闇の太守様をお迎えする、殻器をこれへ………。
◇
一体 御歳お幾つになられるやら。ぽてりと恰幅があって貫禄満点にも大きいというでなく。さりとて、枯れ枝のように今にも折れそうなほど、ひょろりとか細くも小さからずのご老体。古風な導師服を、されど重そうでもないままに着こなして。手に握りし錫杖にも頼らず、背条を伸ばして矍鑠かくしゃくとしてはおられるも。お顔も体も均等に、乾いてしわが寄ることで縮みしその容貌は、90歳代、もしかしたらば百の大台に至っておいでのようにも見えるのだけれど。
“実は 70、80歳代だと言われても、案外と通りそうだわな。”
ご苦労が多かったのだろうからとか、人生経験がさぞや豊かで深くておいでなのだろうとか、どこかからの納得を持って来られそうな、所謂“年齢不詳”という風貌をなさっておいでで。
「ずっと長く“老師”とも呼ばれてござったが、今にして思えば そういうこともまた、お立場や年齢などの詳細を詮索されぬための“暗示”へと繋がる、伏線だったのだろうよな。」
成長中の子供は、久々に逢うといきなり大きく育っているよに見えるが、逆に子供から見た大人はその印象が余り変わらない。ある時、ふと。自分との相対年齢が相当に狭まってからのやっと、ああ年を取られたものだと不意に気がつくもの。この大陸にあった頃には“宗家”と呼ばれし、その血統をと脈々と継いで来たという、そんな曰くのある聖職者であったなら。外部の者には伝わらず広まらないものがあっても、そういうものかと納得されるばかりで、まずは不審に思われなかろうし。ある日突然に“修行に出ていた孫が戻って来たので、それへと司祭の座を譲ろうと思う”なんてことも、一方的に言えたろう。
“引き継ぎと称しての入れ替わる期間だけ、強い催眠術でもかけた影武者の老爺を仕立てれば良いんだしね。”
長命なこと以外ではただの人…だったなら、そんな猿芝居をしたところで、色々なところからの破綻が生じるばかりで貫徹するのは難しかろうが。暗示や何や、特殊な能力を持ってる存在にはさぞや容易かったことだろねと、これは桜庭さんの見解で。何十年か周期でちょっぴり若い見栄えに化け直しては“次代の司祭”を名乗る大芝居の繰り返し。そうやって、実は延々と同じ人物が演じ続けていた、代々の“僧正様”だったということか。
“…もんの凄く説得力があるよなぁ。”
そういえば。いつまでも年を取らない誰かさんに、育てられてた蛭魔さんじゃあなかったか。(苦笑) あれも確か、それを不審とは思わぬようにという“暗示”をかけてのことだったと、暗示が解けたその時に、ご本人がしゃあしゃあと暴露してらっしゃいましたっけね。それを思い出したかちょいと目許が座ってしまったのも、ほんの刹那のインターバル。こればっかりは自分たちでけじめをつけたいと、先にご対面していた自分たちを追い抜いての割り込みにて、老僧の前へそれぞれに身構えた若き精鋭二人の勇姿。その後陣から場の流れを見守る格好となってしまっている、王城サイドの導師らであり。
「………。」
思えば 彼らが突然躍り込んで来たことから始まったこの難儀。何の予兆もないままに、関わったそれぞれがその胸中をさんざ引っ掻き回されたことは、どんな事情をもって来られてもそうそう忘れる訳には行かないし、無論のこと、すっかりと“傍観者”に回るつもりもないながら、
“…下手に手出しすっと、先にぼっこぼこにやられそうだしな。”
こらこら、蛭魔さんたらそれでは口語へ訳し過ぎ。立場とそれから自信もあってのこと。とりあえずは黙って見ていろと、大きな背中2つが語ってるのが、判らないほどの野暮天でなし。ここは彼らのお手並みを拝見と、示し合わすこともなく呼吸を合わせた一同だったのだが、
「寄り代には申し分のない立派な騎士に育ったものだの。」
相手の老爺の放ったものであるらしき低い声が、彼らの立つ窟道いっぱいへと響いて通る。篝火一つ程度の明かりでは、どこまでが空間なのやら、その輪郭さえも判然としないほど、隅々が漆黒に滲んで曖昧な闇の中。口許を覆うように伸びた髭のその陰から発したものとは思われぬ、十分な張りを保った よく通る声であり。騎士と言うたからには、その言葉、これまでその手元にて“眠れる虜囚”とされていた、白き騎士殿こと進への言いように違いなく。
「本当は誰でもよかったものだったのだがの。此処におる二人のどちらかでも、さして不都合はなかったのだがの。」
すぐ手前の二人を視線で指して見せ、
「虚無様の長子、カルラ・ノアール様に相応しき、器となれし栄誉を捨てるとはの。」
これだけは年季が刻みしものか、古木の幹を思わすような、深いしわに埋まっていることもあって。そのしょぼついた眼差し・目許、かなりの失意を含んでそのまま、頼りなくも下がってしまって見えるけど…でも。
“態度と裏腹、言ってることは随分と高いとっからの見下ろし発言じゃね?”
なんて勿体ないことを言い出すか この愚か者がと、それをやれやれと嘆いているその上に、負界の大ボス取っ捕まえて“様づけ”だとぉ?…と、腹の中にてさっそくにもむっかり来ていた金髪黒衣の魔導師さん。
“キノコの取り巻き 引き連れて、とんだ魔法使いの老爺だしの。”
その立ち位置の周囲を丸く囲んで、それが正規の生き物であっても、まずは這い出せぬほど堅い筈の石畳の床からニョッキリ生え出した何物か。老爺の召喚に応じての出現だというのなら、
“…一体どれほどの咒力を蓄えし存在なのか。”
元は魔神の自分でも、これはちょっと…真似の出来ない咒力の発現だよなと、桜庭さんが綺麗な眉根を寄せている。彼らの会話によるならば。遥か昔に此処から一緒に逃げた民らへと、細かく分け与えることにより、自分の存在をまんまと埋没させていた宗主であったらしくって。
“せめて一握りでも助けてやろう…じゃあなく、自分の存在をカモフラージュするのに必要だったんじゃねぇかよ。”
と。こちらも腹に据えかねるもの、何とか堪えておりますというお顔の葉柱さんだったりするそこへ、
「そのようなものを構えおって。儂と手合わせでもしようというのかの。」
進は先程、瀬那から手渡された聖剣を鞘へと収めていたし、他の導師たちもまた、駆けつけることへと集中していたから、その手に武器や得物はなし。これはその手前に立ちはだかる、頼もしいまでの楯、雲水と阿含の二人へかけられた声なのだろうが、
「笑止っ!」
それまでどこか頼りないほどの佇まい、事態の急変を憂いてか、目尻を下げてばかりいた老爺が、一転。気合いのこもった所作の如くに、鋭く見開かれし双眸にての一瞥に合わせ、
――― 足元から這い出るは、乾いた骨の褪せた白に塗り潰された者ども。
暗隅に生えるキノコのような、力なき白丸が…頭の頂点であったらしく。それが次々、ずるりずるりと、頭に肩、それから腕と伸びて来て。床に手をつき腕を突っ張り、ぐいと地上に総身を晒して、次から次から出て来る出て来る。ひょろ長い人型の、絵画やデッサンのための模型のような姿の何者か。腕足の節々の動きも不安定でぎこちなく。出来損ないの人形のようでもあり、それらが、
――― しゃり・りんっ!
老爺の手に握られていた錫杖の頭に揺れていた金環たちが、涼やかにも一斉に打ち鳴らされるや、
「うわっ!」
「なっ!」
「きゃっ!」
幻のように頼りなく、ぶらんと立っていただけだった、大小様々な“ずるりひょろり”の集団が。金環の響きを受けて…唐突にその身へと芯を張り、バネの利きようも強かに、こちらへ向けて飛び掛かって来た。
「な…っ!」
彼らよりも先に、自分たちこそが決着をと、楯にも匹敵する位置へと立っていた炎獄の一族二人の頭上を、軽々と飛び越えた彼らでもあり。さほどには高さがある訳でもない窟のその空間を、きっちりと把握していての、身の処しよう。ある者は全身を真っ直ぐに伸ばしての飛び込みをし、別な者はほぼ直線になろうかというほどにも大きく開いた脚へ、上体をぴったりと伏せての、やはり平たい態勢になっての跳躍を見せ。やはり力は入らぬか、腕をだらりと下げたまま、のっぺりした顔だけ先んじて ずずいと寄せて来ようとしかかったのへ、
――― 哈っ!!
十体近くはいた、白い幽鬼ら。多少は“待ち”の態勢になっていた導師たちらへ、虚を突くように掴みかからんとしたその勢いのまま、だが…触れることもかなわぬままに。骨のような虚ろなその身、声もないままに石畳の上へと失速させて倒れ込み、その身を頽れさせ、片端から散らせて滅してゆく儚さよ。あまりの恐ろしさから、仔猫のカメちゃんと一緒に頼もしい腕が掻い込んで下さったそのまま、白き騎士の懐ろに顔を伏せてしまったセナ王子には、何が起こったのかがすぐには判らなかったのだけれど。
「…凄げぇな。」
「ああ。棍もサイとやらも、しなりの回転が入るから一振りで2撃ずつの、往復4弾。それを両腕でこなしての8弾を一瞬で、だ。」
そんな瞬殺技を、勿論のこと、単なる一閃で済ませちゃおるまいから。頭上を飛び越されたこと、見て取ったそのまま、自分たちもなめらかに振り返っての…連打の浴びせ倒しを仕掛けた、炎獄の兄弟たちであったらしく。動きのあるものを狙うというだけでも難度が高いところへくわえて、自分たちもまた大きく振り返ったにも関わらずの、この俊敏で正確な戦果の物凄さ。瞬殺だったものを、だのに きっちりと見抜けたその戦闘センスをもってして、
“やっぱ、手ぇ抜いてやがった、か。”
自分と桜庭と二人掛かりであったにも関わらず、剣と魔術と、どちらの技もそれは軽妙に躱され続けた。そしてしかも、命に関わる深手を負わせるには忍びないという余裕もあっての、攻勢をと構えていた阿含だったことへも、実は薄々と気づいていた蛭魔であり。
“…やっぱ、引き伸ばし作戦取ってて大正解だったよな。”
片やのこちらは、セナを先に行かせたその後、一対一にて対峙することと相成った雲水へと、勝ちは捨てての時間稼ぎをと作戦変更した葉柱で。一気呵成で叩いていたらば、そりゃあ素晴らしい反射の成せる技に仕留められ、あっさり絶命していたかもと、今更ながらに背中が涼しくなったほど。そして、
「成程、咒力が上がってんのは ようよう知れた。」
それぞれの得物を、まるで軽業の見世物のようななめらかさで、それぞれの手の中、くるりと回して基本の態勢へ。戻しながら、阿含が声をかけたは真後ろになっている老爺に向けて。
「何をどれほど呼び出しても構わねぇ。
同胞(はらから)たちの無念も込めて、片っ端から浄化させてもらうのみだ。」
激発を含まぬ静かさ故に、その分、重々しい声を紡いで。本気の刃を初めて剥いた、怒りの双龍たちが今、真の獲物へその鋭牙の照準をがっつりと据えたのだった。
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*長らくお待たせ致しました。
こういう真相が隠れていた騒動だった訳でございまして。
あああ、こっからの乱闘の数々がまた大変なんですよう〜〜〜。 |